今から約20年前、当時HKSがドラッグスープラでRRCに参戦し始めドラッグレースが盛り上がり始めたと同じ頃もう一人ドラッグレースに参戦を模索していたHKS社員がいた(・◇・)
その彼は当時本社がY社のOEMでF3エンジンを製作していたのとFZR400RR(レース用の限定車両)が置いてあるのに目をつけ何とかあのバイクを使ってRRCに出られないかと上司などに相談していた。当時の上司も面倒くさかったのか取り敢えず社長に稟議書でも書いてみたらとこれまた適当な回答をしてきた。真に受けた彼は本当にそれを実行し稟議書を上司を通し社長決済を待った(常識的に考えればお前そんなことを考えてないで真面目に自分の仕事をやれよと今なら考えられるが当時の彼の頭の中にはRRCしか考えられなかったΣ(゚д゚lll))しかし社長の返事はというと・・・(・∀・)オッケー!・・・Σ(゚д゚lll) しかも社長自ら当時の横浜ゴムのお偉いさんに話をつけていただき何とタイヤまで協賛してもらった。まずはライセンスの取得(当時愛知に住んでいたので虎ノ門まで取りに行ったような・・記憶が曖昧)エンジンを当時の先輩に製作依頼というか車体に搭載するのも含め全部やってもらったのだが・・ そしてここからようやく彼らも車体に手を加えていくのであった。その彼の協力者はNメカ( ̄▽ ̄;)!!
まぁ、何をしたかというとカッティングを貼ったり、ホイールを塗ったりと完全にシロート以下の内容(/ω\) 1回Nメカがバイクの部品を買いに自分のバイクで出かけた時におばちゃん軽自動車の側面にぶつかり救急車で運ばれたというマイナートラブルはあったもののバイクも無事完成(^o^)ノ 完成したバイクがこちら一応MFJの公認競技であったのでワイヤーロックなど細かい安全規定は満たしていました。
作業と同時に1992年11月2日、3日の2DAYにエントリー、この日のイベントは実際3DAYで開催され初日は本場ファニカーやジェットカー等が走行するかなり大きなイベントであった。
そしてエントリーしたのがTT-F3クラスこれは4サイクルは400cc、2サイクルは250ccという一番下のクラス。そしてエントリー前日に車を走らせいざ富士へ・・流石に2DAYという事もありものすごい数の車とバイク(; ̄O ̄)事前のテストでは発進が上手くいかず終いにはクラッチをパーにしてしまったのでしょぼい4000rpmスタート、周りからもそんなはずはないスタートのやり方が悪いんじゃないとか言われる始末。。(´;ω;`)ようやく原因がわかったのが走行を終えたあとのこと・・これギア比どうなっているんだと?違う部署の先輩の一言( ̄▽ ̄;)!!何と組んでもらった先輩に確認したら周回用のギア比・・・一速ギアが超ハイギアード(周回はスタート重視ではなく2から上がクロスになっている)
そこからが大変スプロケットの予備をほかのチームが持っていないか聞きまわり何とかスプロケットを手配できたはいいが今度はチェーンが長くなりすぎてしまいチェーンカッターを探し出す始末。。。ゼロヨンをやろうというのに何ともお恥ずかしい限りのドタバタ劇。。それでもなんとか2日目の出走前までにはスプロケも変え周りの目を顧みずパドックでスタートの練習を何本かおこない無事スタートラインへ。
400mってこんなに遠かったっけと思えるほど上がりまくりゴールがわからないまま無事ゴール(//∇//)結果は・・・
まぁ今うちの会社でこんなアホなことを考える奴もいないかもしれないけれど20年以上前のことだから許された1コマでした
o(^o^)o